忍者ブログ

01

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
こんにちは。今日は作業集中ツール『gogh(ゴッホ)』について書きます·͜·

これまで作業中は、音楽プラットフォームSoundCloudなんかでLo-Fiプレイリストを流しながら何とか集中しようとしていたのですが、音楽プレーヤーの操作のついでにだらだらスマホを触ってしまったり、好みのプレイリストを探す旅に延々と出向いてしまったりして笑、特に最近は集中力が保たないと感じていました……。
単に日常のストレスで脳が疲弊しているだけかもしれない……と考えつつも、「集中」が目に見える形になったら、多少は作業へのハードルが下がるかなと思って、作業タイマー×アバター×ルームメイクという私の理想要素を備えた上記アプリを使ってみることにしました。



このアプリ、何がいいかというと、まず好きな部屋を作れる。嬉しすぎる。
好きなものに囲まれて作業できるだけでテンションが上がる。インストール時、ルーム作りに没頭してしまい本来の使い方を忘れ去る、というのはご愛嬌。

そして音楽。私好みのLo-Fiプレイリストが揃っている。
もしかしたらそれよりも嬉しいかもしれない、環境音メイカー。集中力が駄目すぎて音楽すら聴けないときは、以前から雨の音とか海の音、虫の音、風鈴の音なんかを聴いて作業していました。まさかのこれらを音楽とMIXできるだけでなく、複数の環境音を選んで流せるなど、音が好きな人間としては嬉しいでしかない。よく分かってくれている……。

それからこのアプリの肝というべき作業タイマー。
ポモドーロテクニック(25分作業+5分休憩の1クールを繰り返す)というのを初めて知ったのですが、カウントアップタイマーと使い比べながら作業しています。作業時間が集計されて目に見える形になるので、何もないより達成感があるのかなと思います。

で、最近リリースになったらしい、共同作業スペース機能。
お友だちがいたら、そのスペースを選んで入ることもできるという。とにかく絵が美しく、開放的な環境で作業をしている気分になって捗ります。眺めているだけでも癒やし。



私が一番気に入っているのは、「ただ同じ空間で作業する」というシンプルなこの一点。人によってはチャットができたら嬉しい、ということもあるのだろうけれど、微粒子のような私の集中力では対応できそうにない……。
さぎょいぷというものが流行った頃、正直憧れたこともあったのですが、私の作業の多くは作文、時々作曲、という、作業中に文字や音声のやり取りをするには不向きの創作ジャンルになるので、結局やらず仕舞いでした。……友もおらぬ……。
ただ空間を共有する、というだけのことにどれほどの意味があるのかなとも思ったのですが、これが案外、「どこかで頑張って作業している人がこんなにいるんだ」という心地良いプレッシャーになり、集中力や継続力を高めてくれます。



休日の作業時間を上手く管理できているかと言われたら、毎度寝坊をしている時点で台無しなのですが笑、どちらかというと平日の作業時間確保に役立っている気がします。平日こそ、寝るまでの時間をだらだら浪費してしまっていたので……。
創作をやっていると、作品として表に出るもの以外にも書かなければならない文章が多々あり、そういうものに取り組むハードルというのは少し下がるかなと思います。小説の執筆はね……バチバチに集中していないとできないから……。どうしても体力が要る。

そんなこんなで、某SNSにはいない私もgoghのスペースにはいるよ、というだけの話でした。よかったら一緒に作業してください^ᵕ^! ➡フレンド申請リンク



ちなみにスペースと、あとPC版にはモコナ<モドキ>のような生き物がいます笑 カラーリングは黒たん。
……しかし私の使用環境が悪いのか、数時間連続でスペースに滞在すると、高確率でアプリが落ちます(せっかく作業した時間が集計されないので悲しい ᴗ ᴗ̩ )。作業中にフレンドさんがお席に来てくれたりするのですが、短時間で落ちてしまったりして申し訳ないです。激落ちくん……。

PR
□    無題
こんばんは。
あけましておめでとうございます、などと暢気に言っていられない年始になってしまいました。みなさま地震の被害は大丈夫でしょうか。これ以上被害が広がらないことを祈ることしかできません。
取り急ぎ、私は無事です、というご報告まで。普段通りに過ごすことができております。何も気になさらず接していただいて大丈夫です。

いつもありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

こんばんは。
先日しれっとMastodonを更新したのですが、拙サイトに表示される広告の仕様に変更があった模様。以下、「サイトの広告表示に関するアンケート」から詳細を抜粋し、経過を追記いたします。
アンケートに協力してくださった方、ありがとうございました。


1.広告表示に纏わる不具合と修正

-------------------- 抜粋ここから --------------------
2023/11/06現在、レンタルサーバーの広告表示の仕組みが変更になったのか、拙サイトの表示上の不具合が確認されています(管理人による同事象の認知は同日午前7:00頃です)。
<不具合詳細>
- サイト下部に広告が表示され、スクロールを要するようなコンテンツの多いページは最下部の内容が隠れてしまっている(aboutのサーチ欄/top更新情報/text(L)最下部のもくじなど)
- 小説やイラストページの内容自体は問題なく表示できるが、執筆日時・コメント等最下部の情報が広告に隠れてしまっている
- 小説等ページを最下部までスクロールした際、広告がページ上部に移動し、そこにあるコンテンツを隠してしまっている
- スマートフォンの画面を横にしてから縦に戻した場合、ページ上部に移動した広告がメニューボタンを隠してしまう(タブを閉じてサイトにアクセスし直すことで解消)
上記不具合はいずれも管理人のスマートフォン上で確認済みです。PCでの閲覧では広告が表示されませんでした。
-------------------- 抜粋ここまで --------------------

その後の経過を追記しますと、
2023/11/07  7:00頃の時点では、上記不具合が解消されていました。具体的には、
- 広告の表示サイズ・表示場所が変わり(コンテンツ下部の余白に正方形の広告が表示)、コンテンツに被らなくなった
- 疑似フレームページ(=メニューボタン系を置いているページ)とiframe内ページ(小説本文等)のそれぞれに表示されていた広告が、後者のみになった
→2023/11/19 追記:その後再び、スマートフォンにおいては前者にも広告が表示されるようになりました。閲覧や操作に直接は影響しませんが、依然見えにくい状態ではあります。
というこの二点で、結論から言うと、サイトの閲覧には支障のない表示となりました

また、6日時点でPC上の開発者ツールにてソースを確認したところ、広告表示のためにレンタルサーバー会社側から挿入されるコードが見当たりませんでした(スマートフォン上ではコードが確認されています)(PCでの閲覧では広告が表示されなかったのも納得です)。
それが翌日になり、PC上でもスマートフォン上で確認されたのと同じコードが挿入されていました。これまでは当然のようにPC上でも確認できたため、やはり何らかの仕様変更があったものと思われます。上記不具合はそれに関連したバグか、仕様が浸透するまでのちょっとしたタイムラグでしょう。

ただし、広告ブロッカー等を使って強制的にこれらの広告を非表示にした場合、
- ページ下部に存在するはずの余白が消える(=日付やコメント等の最下部のコンテンツが微妙に埋もれる)
という事態が発生する模様。まぁ正直、私の備忘録のようなものは見えなくても構わないのですが、それによって一部リンクが埋もれてしまうページ(=text(L)/about)もあったため6日中に修正しています。具体的には、広告用コード(を無効にした場合)に影響を受けないような要素を追加し、コンテンツが埋もれない程度の余白を確保しています。

ということで、一応は閲覧に支障のない形になっているかとは思います。
しかし今後の仕様変更もあり得る……(頼むからコンテンツは隠さないでくれ)。気になる点がありましたら上記アンケートをご活用ください。しばらく機能するようにしておきます。


2.サイトの視認性に関する検討

さて、アンケートにてご要望をくださった方、ありがとうございました。「見やすさ」に関するご意見、サイトを構成する上でとても参考になります。感謝いたします。
ダークモードでの明朝体の視認性・可読性の悪さは私も認識しておりまして、今回改めて「明朝体とは何か」「モニター上に文字を表示するとはどういうことか」を勉強し直しました。
- 明朝体には多くの装飾があり、横線に関しては細く描かれる
- 細かな描写を要する明朝体は、アンチエイリアス化することで表現している
- どういうことかと言うと、明朝体の横線は「細い線」で描かれているのではなく、「薄い線」で描かれている
- すなわち、明朝体は薄い

目から鱗とはこのこと。そうか、だから明朝体は薄く見えるのだ。線が細いから薄いのだと思っていた。線が薄いから細いのだった。
ということで、一般的にはライト/ダークモード関係なく、ゴシック体に比べれば明朝体は「薄くて見えにくい」訳です。考えてみれば、電子書籍を読むときも結構大変。文章は明朝体で読みたい派、なので、無理矢理にでも明朝体設定で読破しますが、視力を削られます。
自分はそれでよいとして、人様にその苦労を強要するのは間違っているだろう。ということで修正しました。公開当時の設定のまま、本文を明朝体表示にしていた『雪の果て』、ゴシック体に変更しております(たくさん読んでくださってありがとうございます!)。

余談ですが、「作品によって無闇矢鱈に見え方を変えるのは、統一感や視認性という点でいかがなものか」と悩んでいた二年前、すでに多くのページを修正しているのです。その修正から漏れていた分を、今回修正した形になります。

本文のフォント、ついでに言えばフォントサイズも、読者さんの好みに合わせてカスタマイズできる仕掛け、も導入できることはできるのですが(たぶん)、そこまでの需要があるかな? と考えて導入していません。
自分の好みを言うと、やはり文章は縦書きの明朝体で読みたい……。
これは以前から自分のサイトに対しても思っているのですが、いかんせん英文やアルファベットの混在しがちな小説が多いので無謀だなと。吹き出しとかもあるし。
何はともあれ、サイト作りはまずは「ストレスなく読めるか」だと思っているので、その視点を一番に今後も地味作業をしていきたいです。



こんばんは。
サイトindexにしれっとリンクを、そしてとりあえずtsubasaトップページにタイムラインを埋め込んでみたのですが、とうとうMastodon始めました。
簡単に言ってしまうと、Twitterの代替です。ゆくゆくの移住先です。が、しばらくは併用という形で、サイトに関するおしらせ(主にサーバーダウン等の不具合報告・復旧報告)を発信していこうと思います。

マストドンってなんや、という話ですが、一言で言えば、「オープンソースのソフトウェアで、複数の管理者がそれぞれのサーバー(=インスタンス)を運用しているSNS」。つまり、「たった一人の偉い人に振り回されない」SNSと言える(最大限の皮肉)

実は、Twitterの閲覧制限が始まった(埋め込みウィジェットがこれまでのように動作しなくなった)頃から代替SNSの検討はしていて、やっぱMastodonだよなー、というところまでは決まっていたのですが、どのインスタンスに忍び込もうか、という点で悩んで月日が流れ去ってしまいました。
つい先日、サイト表示における不具合(レンタルサーバーによるSSL証明書期限切れ)もあり、いい加減結論を出さねば、とウェブ上を彷徨っていたのですが、まぁ灯台下暗しとはこのことで、あるじゃないですか! 落ち着いていて、間違っても居心地が悪くはないだろうインスタンスが!

もう一年ほど前になりますか、以前からAndroid版・Windows版ともに愛用している超イケてるブラウザ・Vivaldiが、Mastodonのインスタンスを立ち上げていたのです(詳しくはこちら)。創作系インスタンスなども候補に挙げてはいたのですが、インスタンス全体の雰囲気やルールを確認して、とりあえずここに潜り込んでみよう、と思いました。
どうでもいい裏話をすると、Mastodon自体は実は初めてではなくて、今は亡き、某音楽系インスタンスをうろうろしていたことがありました。ということでざっくり概要は分かっているつもりですが、少しずつ慣れていこうと思います。

ところで、Vivaldiブラウザはマジでいいのでおすすめです。
いろいろカスタマイズしたい系の人は絶対メロメロになる。痒くないところまで手が届く。
カスタマイズ性はもちろんだが、何より素晴らしいのはその姿勢です。今や、ウェブ上の情報を得るのと引き換えに、自分の情報をブラウザやアプリ側に渡すのが当たり前になっています。そんな「当たり前」を、「いやいや、おかしくない? ユーザーはもっと自由であるべきじゃない?」と真顔で言って退けるブラウザがVivaldiだ。試験に出るぞ。
カスタマイズ性、理念、他にも優秀なのは、広告ブロッカーでしょうか(これを一番の目的に導入する人のが多そうですが)。何にしても、「ユーザーは自由であるべき。ユーザーと対話して開発を進めていく」という、一本筋の通ったチームによって常に新しく在り続けるVivaldi、かっこいいです。
デスクトップ版ではブックマークのインポートなども簡単にできます(正真正銘・元ブラウザジプシーの私も通った道)。
最近ついにiOS版もリリースされました。この機会にぜひ。ぜひに!

……回し者ではありませんが、回されてもいいかなと思えます笑


2023/10/14 16:00 追記

1.ウィジェットの変更
Mastodonタイムラインの埋め込みウィジェットを調整しました。
正しくは、間に合わせで設置していたもの(こちらで作成)から変更しました。現在使用中のウィジェットはこちらから入手できます。

新しく導入したものですと、インスタンスのオリジナル絵文字がちゃんと表示されて可愛いです。プログラミングに明るい人は、いろいろカスタマイズできて楽しいかもしれません(私は無理でした……またぼちぼち勉強する)。

2.RSSについて
Mastodonユーザーが増えているとはいえ、旧青い鳥に比べたらアカウントを持っている方は少ないでしょう。実は私が利用中のVivaldi social(Vivaldiのインスタンス)、簡単にRSSを配信できるので、フィードリーダーを使える方は、わざわざアカウントを取得しなくても私の投稿を購読できます!(そんな物好きな方もいないとは思うが。フォローの代替案として提示しておく)

RSSを使った疑似フォローの仕方
①以下のURLをコピー
https://social.vivaldi.net/@10n1000.rss

②コピーしたURLをフィードリーダーに登録

これだけ!

そして実は、私が先ほどから推し推しのVivaldiブラウザ、デスクトップ版にはそもそもフィードリーダーが組み込まれているので、わざわざフィードアプリを用意する必要もないという。
スマホでご利用の場合は、フィードリーダーアプリが必要になります。多くは無料で最低限の機能が使えるようなので、定期的にチェックしたいブログやウェイブサイトが他にもある方には有用かもしれません。
とここで余談。「ならばそもそも月下のサイトのRSSを教えてくれよ」となると思うのですが(ならない)、小手先で調べた結果、RSSのURLを見付けられませんでした。RSSを配信していないウェブサイトのRSS・URLもどうやら探す方法はあるらしいものの(専用の検索サービスを使う)、現時点では未確認です。需要があればやります(ないだろう)。
※ちなみに、ブログであればRSSを利用できます。→ https://5bitzakki.blog.shinobi.jp/RSS/

質問等ありましたら、お気軽にお声かけください。

こんにちは。クリアを更新してきました。
久々の更新なのは、季節が追い付くのを待っていたためです。次で最後。しばしお付き合いください。

ところで、緊迫した世界情勢に気持ちがざわざわしています。
ロシア国内での反戦の声を力でねじ伏せるような動きもあり、気分が暗くなります。力を持たぬ者に残された唯一の“武器”が言論なのに、それを弾圧されるとなれば……この先、人間を待っているのは、無音という名の闇ではないか。人間性の死ではないかと思う。
本当に恐ろしい。対岸の火事ではない。指導者の選出を誤れば、この国でも同じ状況が起こり得るということは、仮想敵国を作り上げ、都合の悪い事実は隠すという、これまでの権力者の姿勢を見るに明らかだ。戦争の最大の抑止力は軍事力や核兵器などではなく、こうした「戦争をしたい」権力者を縛る憲法(法の力)と、独裁は許さないという芯の通った民主主義であると信じている。戦争は、何十年も前の“戦前”から始まっている。私たちは心して、自分自身を見詰め直さなければならないと思う。
私には言葉しかない。けれどその言葉も日常では、絵空事だと、綺麗事だと馬鹿にされて踏み躙られるばかり。正直嫌になるが、言論の自由を奪われるよりは、自由に発言して馬鹿を見るほうがずっといい。誰かを変えるためではなく、自分が暴力や圧力によって変えられないようにするために。

誰に鼻で笑われようと、すべての人に訪れる平和を夢見て止みません。
なぜなら、人類の次のステージへ意識を向けているからです。今の人間の在り方には全然満足していません。全っ然足りない。私はもっと崇高な生き方を目指します。個人としてでなく、人間という種全体として。言わずもがな、過去に回帰するのは真っ平ごめんです。

あけましておめでとうございます。
昨年は更新頻度の落ちた一年でしたが、何とか首の皮一枚で繋いでこれました(これてる……?)それも偏に、更新のない中にも関わらずこの辺鄙な地を訪れてくださった方々、温かなコメントをくださった方々のおかげです。いつまで経っても拙いものしか書けませんが、広い心で読んでくださる皆さまには感謝の言葉しかありません。ありがとうございます。
更新が停滞した一因でもあるのですが、昨年は「書き始めるけど書き終われない」ものがいくつかあり、なかなか苦しみました。今もフォルダの底にひっそりと眠っている彼らですが、今年こそはどうにか日の目を見せてやりたいです。
さて、そういう訳で……どうにか短文の一つくらい書けないか、と大晦日になって突然その気を起こしたのですが、年内の更新は端から無理と察していたので、潔く年明けの話を書きました。こうやって見ると代わり映えしないなって感じですが……ご笑納いただければ幸いです。

今年もあまり明るい展望はなさそうですね。政府の無策や、的外れなお金の使い方にはすっかり失望しています。
もうここまで来てしまったら自衛のみでやり過ごすしかない気がしていますが、自衛するエネルギーも術も持たぬ人はどうなるのだろう、と暗澹たる気持ちで一杯です。これはウイルスとの闘いではなくて(だって生物学的にヒトがウイルスに勝てる訳がないのですから)、ある意味人間たちの、自分たちとの闘いだと思います。弱い者ばかりがひたすら追い詰められていくというこの社会の“弱さ”を、脆弱な、“非人間的”なシステムを、どう克服するか。敵を見誤ってはならぬ。

周囲との温度差をすごく感じる日々です。
職業・雇用形態・収入・健康状態などなどで、これまでの一年、これからの一年(ないしは二年三年……)の過ごし方、捉え方は変わってくるのでしょう。状況が違えば、人それぞれ別の感じ方をする。それは仕方のないことで、「苦しんでいる人がいるのに楽しむな」というのもおかしな話です。ただ、虐げられる側のことを頭の片隅に置いて生活する人が増えたらいいな、とは思います。自分がよければそれでいいのでなく、自分は大丈夫だけど、大丈夫じゃない人のことも考えて社会のリーダーを選ぶ、ということをしてほしい。コロナ禍に限らず。

新年早々、愚痴のようになってしまいすみません。
話を聞いてくれるような人が自分にはいないので、こうしてでも吐き出さないと心が生きてゆけなくて。不安や怒りや悲しみを、すべて作品として昇華できたらいいのですが、生憎そんな器でもなく、時間もなく。
コロナからよりも、まずは自分の感情によって生じるストレスから自身を自衛せねばならんようです。好きなもののことを考えて、心を癒します(´・ω・`)

□    命の前借り
こんにちは。
通常業務に戻ってへとへとの私です。毎日9時間寝ててもあちこち痛いからね……
さすがに半日眠れば回復するだろう、と思って昨夜は早く寝たのに、だめでした。全身痛い。
しばらく飲まずに済んでいたモンスター〇ナジーを解禁し、命の前借りをしながらいろいろ作業しています。あかん。命を削り過ぎだ。
仕事の内容はともかく、職場の人間関係というクソどーでもいいところで疲れているので、理不尽感が半端ない。一部の人に足を引っ張られ、最も恐れていた事故は起きるし、とばっちりは食らうしでさんざんです。むき~~
目の前のことで十分へとへとなのに、国内外問わず怒らなければならないことが起きていてどっと疲れる。私が悠々と黒ファイ書けるようにみんな差別やめろ。←

そういう訳でまだしばらく定期更新には戻れそうにありません。
真夏に出したいものがあるので、そっちを書き切れるように暇を見付けて頑張ろう……予定していたものは焦らず後回しにします。

拍手ありがとうございます!
毎日、「もう何もかもどうでもいい。全部消えればいい」とかいうどん底モードに陥っているので、本当に救われます。生かされています。

こんにちは。
宣言通り、本館の更新はお休みです。見事に出せるものがない。
拍手ありがとうございます! しばらく動きが少なくなりますがご容赦ください……

テキストエディタと睨み合っていても作業が進まないので、最近は曲を作って遊んでいます。気分転換。熱しやすく冷めやすいとも言う。
言葉遊び的な黒ファイ曲を作りたいのですが、しばらくインストばっかりやっていた所為かすっかりボーカル向きの曲を書けなくなりました。入れ込みたい詞、というか言葉の断片はあるのだけど、構想がまとまらない。作文にしても同じ状況で……つまり頭……はたらいてないのかな。
なんか単純に、一人で過ごしすぎな気もしています。くっそ真面目に自粛しまくっているので、偶の出勤でしか人と話していない。自分との対話ばかりで飽きてきた感じ?
これ以上ないくらい、一人でいるの好きだと思っていたけど、さすがにこれが何か月も続くとなると駄目なんだな。明日スタンディング行こうかな……SocialDistanceRegistance……韻がよろしい。

あいや、頭使い過ぎなのかもしれない。知恵熱? 国会中継と関連配信の見過ぎかしら。創作モードに頭を切り替えられないというのはあるかも。そんな中でも音楽だけはできているので、やはり私の底に流れるのは言語的な表現よりも先に、非言語の表現なんだろう。

読書も進んでいないので、創作に特化した学びはいまいち少ない今日この頃です。
でも、創作することと社会への関心って分け切れないと思っていて、両方に足を突っ込んでいるからこそ自分が自分として在れている感じはするんですよね。どちらもが相互作用的に私(の思想)を作ってきた訳だから。だから私からすると、アートを生業としている人々が社会のあれこれに言及しないのは不思議で仕方がないんだ。

言いたいこと言える世の中になるといいよね。もちろんそれは、他者の尊厳を傷付けないという条件をクリアした上での自由だけれど。
休校が長く続いていることもあって、教育のもつ影響力って良くも悪くも本当に大きいなぁと思っています。勉強という、問題解決について学ぶプロセスにおいて、なるべく楽して正解に辿り着く、なんて点ばかりが重視されている。孤独に思考し、自分の意見を持ち、発信するという体験が少ない。むしろそんなのは、学校生活の中では“不正解”なことだから。すべては、人間を人材としてしか見てこなかった社会の仕組みが悪因な気がする。
人間は人間だよ。誰かの役に立つために生きているんじゃないんだよなぁ。
政治的発言をした著名人が叩かれるのも、このごく当然のことが忘れ去られているからじゃないのかな。自分を心地良い気分にしてくれるはずの芸能人が、自分の制御不能な“一人の人間”だと思い知らされてガッカリする? あるいは、自分にない「孤独に思考し、自分の意見を持ち、発信する」という力が怖い?

何だろうなぁ。ここのところも不思議でならない。人の心って難しい。
私には難しすぎる。小説を書いている訳でもないのに、毎日毎日、人の心の動きについて考えている。

□    今後の更新
こんにちは。
以前Twitterに投げた黒ファイ絵を本館にも上げてきました。新しいものでなくて申し訳ない。
実は、サラッと出せる小説(短編)のストックが切れましてですね。続き物をだらだら書いてはいるのですが、まだとても連載を開始できる状態ではないので、しばらく更新をお休みします。
昨日の記事で書いたように、作文へのモチベーションはむしろ上がっているのですが。よし、完結させられる! と言えるところまでプロットを詰めていないので、最新のパラレルはもう少し仕舞っておこうと思います。
とか言いながら、突発で何か生まれれば戻ってきますね。

ここ数ヶ月の自粛も相俟って、「いろんな場所へ行ってインプットする体験」が悉く不足している。吐き続けてばかりなので、吐くものもなくなってきたという訳です。
正確には、構想はいくつもあるのですが、それを形にするための材料が足りていない感じかな。吐き出したいものはあるのに、上手く喉元を通っていかないというかね。
アウトプットよりもインプット、何をどう表現するかは、何をどう、どれだけ受け取るかに依る、と思っているので、上手く吐き出せないときは無理に吐こうとせず、逆に取り込むことを意識したい。

そんな訳でしばらく動きが少ないかと思います。
このところ創作にまつわる気付きが多いので、雑記は更新するかもしれません。それではまた。

こんばんは。
創作する上で記録しておきたいことが出てきたので雑記を書きます。

 営業自粛に伴い、ライブハウスをはじめ、劇場や映画館など、芸術文化を担い守ってきた場所の存続が危うくなっています。先日、#SaveOurSpace主催の会見の配信を視聴したこともあり、一層危機感を覚えています。もちろん、今やどの業界も苦しいことは分かっています(会見では本当に多種多様な現場から声が上がっていました。それぞれ自分の言葉で語られているのが、当たり前なのに、今のこの国では本当に貴重な光景に思えて、何度も涙ぐんでしまいました)。分かっている上で、芸術文化に焦点を当てて書きます。自分は以前ライブハウスにお世話になっていた身であること、僅かながら芝居にも携わっていた経験から、「芸術の危機」を心底恐ろしく感じているのです。
 このコロナ禍において、音楽は「不要不急」であるという言葉を聞くようになりました。エッセンシャルワーク(人々の生活を維持するために欠くことのできない職業)に比べるとどうしても「娯楽性」が強い以上、「不要不急」と言われてしまうのでしょう(注意しておきたいのは、音楽をはじめ娯楽を“提供する側”は、決してそれを娯楽として行っている訳ではないということである……仕事なのです)。でも、本当に娯楽は「不要不急」なのだろうか? 自粛期間中、音楽や映画、読書によって心のバランスを保ったという人も、少なくないのではないだろうか?
 確かに、音楽を奪われた人が即座に致命的な状態に陥るということはないでしょう。私は息をするように音楽を聴く人間なので耐えられる自信がありませんが、まぁ、生理的に考えればそういうことになる訳です。別に音楽がなくても、人は呼吸できるし、食べて寝て起きるし、思考もするでしょう。でもそれは一時的という条件下であるからこそ成り立つ訳であって、延々と音楽を(あるいは他の芸術ないし娯楽を)奪われていては、これまでのようには生きられないはずです。生活と文化は隣り合わせにある。
 今このときに、芸術文化を担い守ってきた場所を失ってしまえば、簡単には取り戻せない。一から立て直すには多くの時間を要するでしょう。それまでの間、いや一体どれくらいまでの間、私たちは「不要不急」なコンテンツなしで日々を乗り越えられるのだろう。

 そんな思いもあって最近読んでみたのは、戸坂潤の「娯楽論 民衆と娯楽・その積極性と社会性・」。以前から、「支配側がお墨付きを与えて民衆に押し付ける娯楽というのは果たして、娯楽としての意味を保持し得るのだろうか」と悶々としていたので、そういった面でも発見があり、興味深く読みました。
「娯楽は殆ど一切の生活領域の内に根を持っている」
「娯楽という時間、娯楽という態度、それが社会に於ける人間生活にとって、可なり大きな教慰的な養生的な建設的な意義を持っている」
「娯楽そのものが労働生活の有機的な一環として社会的に公認掖導されねばならぬ」
……おおうまさに……まさに今この状況で響く言葉だ。
 ちなみに著者は、「一切の文化領域が夫々(それぞれ)の限度(=「大衆性乃至(ないし)民衆性を有(も)つ場合」)に於て、或る程度まで娯楽の範疇に這入ることが出来る」と述べている。つまり、あらゆる形の文化は、一般の人々に親しまれた場合娯楽となり得る訳か。“芸術文化”というとやけに崇高だけれど、その中の一部は娯楽として身近にある訳だ。なぜ芸術を軽視してはいけないのか、感覚的にしか分からなかったことが少しすっきりした。文化が衰退してしまえば、私たちの生活を豊かにしてくれる娯楽もまた衰退してしまう。なぜなら、娯楽の源泉は芸術文化だからだ。

そしてこれ
「娯楽は支配者の配慮によって外から与えられるものではない」
心に留めておこう。民衆性を持つということは、一般大衆を味方に付けるということだ。そうやって民衆を引き付ける“娯楽”を支配側が、権力側が提示してきたとき、その裏側にある意図にまで思いを巡らせなければならない。


 あと、ここからは余談というか、自分のための教訓なのだけど。創作にも通じるところがあるのでノートを取っておく。
「色彩や形の或る通俗的な美しさが、芸術的にも意味を有つ」
「まずごく普通の意味で面白いということから惹きつけられて、いつの間にかその作品が有つ特有の芸術的関心へ導かれるという場合、夫(それ)が「面白い」作品であり、そして大衆性を有った作品だと云われる」
 刺さります。深く深く刺さります。いっそ胸を抉られております。以前書き残した、創作をする上で私が犯していた過ちに加え、ここでもはっとさせられました。私はもう一つ間違えていたのか。
 白状すると、私は“大衆的”な、“低俗”な、“安っぽい”娯楽のようなものは、書きたくないと思ってきました。“取っつきやすい”という作品の性質そのものが、作品を薄っぺらいもの、無意味なものにしてしまうと思っていたのです。ああ、一番薄っぺらだったのは私だ! 取っつきやすいなんていう安易な見た目はごめんだぜ、と斜に構えておきながら、結局は見てくれにばかり囚われて、本当に中身を涵養するということをしてこなかったのは、紛れもない私だ。
 文章を読み慣れている人も読み慣れていない人も、あらゆる層の人が親しみやすく、気軽にアクセスできる作品というのが、どれだけ意味のあるものか。だってそういった作品は、読解の巧拙に関わらず、人々に娯楽を与えてくれるのだ。人の疲れを癒し、活力となり、幸せな心地を与えてくれる、娯楽に他ならないのだ。とってもバリアフリーなのだ。わぁ、なんてことだ! どうして気付かずにいたんだろう!
 小説はライト(light)でなければならないのだ! 常々、読まれるものを書きたい訳ではない、などと独りごちてきたが、そんなはずがないのである。書いたからには、書き手は読まれたいものなのである。自分の表現したい事柄が、どれほど“崇高”なものであるにしろ、門戸は広く開いておかなければならない。むしろ、物凄いものを隠し持っておきながら、どれだけ無防備に、易々と門戸を開いておけるかが重要だったのだ。そこが腕の見せ所に違いないのだ。
 わぁ、ほんとに! なんてことなの! またもやとんでもない勘違いをしていました。自分にびっくりする。どこまで未熟なのかと、呆れを通り越していっそ笑えてくる始末である。はは……
 精進します。私の書くものは、私にとっての娯楽に他ならなかった訳で、作品として娯楽そのものにはなり得なかった。道理で。一番すっきりしたのここかも?笑

今日書きたかったことは以上です。
紹介した本はインターネット電子図書館・青空文庫で公開されていて無料で読めるので(つまり紙の本より手に入りやすいと思われる)、ご興味があればぜひ。ブラウザで読めますが、私はkindleのアプリを入れて読んでいます。便利なので。
ちなみに今は同著者の、「思想としての文学」を読んでいるのですが、学が浅いのでとても難しいです……上に書いた内容も、解釈がおかしかったりするかも。本当に、学問というのをしっかりやってこればよかった。後悔の日々です。でも今から学んでも遅くはないはず。精進あるのみです。

□    無題
こんにちは。日がな一日PCに向かってテキストエディタと睨めっこしているんですが(体に悪い)、いろいろ行き詰まっているので雑記でも書くことにしました。
小説の書き方というのを全く勉強したことがないというのはマズイのかな、と思って、何となく調べてみました。最近気にかかるのは、地の文と会話の比率です。自分の書くものは極端に会話が少ないんでは、地の文という内省に頼りすぎなのでは、という危機感がありまして。書いてて自分でもダルくなってくるので、読むのは大層しんどいと思います。自覚はある。
で、調べた結果散見されたのは、「会話:地の文=3:7~4:6」辺りが一般的ではないか? という意見でした。まぁこれもね、その辺のブログ記事見ただけだから怪しいけど。たぶん本当に才能ある人はそんなこと意識しなくても魅力的な作品を書かれるんだろうな。なんて言うと敵を作ってしまうかしら。
3:7なら救いがある、と思って自分の書いたものをざっくり計算してみたところ、2:8~3:7辺りに落ち着きました。1:9とかは見なかったことにした←
もちろん、場面場面によって雰囲気が異なるので、必ずしも通用する目安ではないと思うのですが。昨今主流のweb小説に比べたら、やはり会話文が少ない……

会話として表出されるものは、内面のうちのほんの一握りだと思っていて(自分が思考多動型だからかも……授業中立ち歩きとかはしなかったけど違うところで手のかかったタイプ)、そうとなるとどうしても地の文で書く要素が多くなってしまうんだよな。
結局、小説であれ何であれ表現というのは、主観をもとにした(時には客観的な)世界の再構築だと思うので、自分の中の“当たり前”が色濃く反映されてしまうのは仕方がないのか。
となれば、「おまえが書いているのは極めて主観的な世界なんだぞ」というのをもう少し意識しなければならない。自分とはよくよく距離を置いて作品を見詰める訓練をしなければならない。
なんたって成人するまで、万人が万人、常に頭痛の中で生きているのだと思い込んでいたからね……みんなそれでも高度な仕事してすごいなって思ってた。片頭痛ない人の感覚が分からない。

……そうか。定型発達の人は、何か考えてないと落ち着かない、なんてことないんだもんな。あんまり炸裂した情景描写すると引かれるのはそういうことだったのか。気を付けよう。

ここからは余談なのでスルーしてください。特に私の思想に我慢ならない方は(そもそもブログご覧になったりしないと思うのですが)特に。
そんなこんなで小説の書き方を今更ながら調べていたところ、なかなか説得力のある解説をしておられる方がみえて、素直にすごいと思っていたのです。で、この方の他の文章も読んでみたい、と記事を漁っていたところ、とんでもない地雷を踏みました。ひえー
つまりは、「日本人スゴイ」感満載でして。伝統文化は私も大事にしたいと思っているけど、一方で他国の文化を軽視し排除しようとする姿勢には「???」としか思えません。なんか言ってることとやってること違くない? ってなっちゃう。自分の国、しか大事にしないのか。
あと戦争賛美も我慢ならんかった。「国を守るためには戦争も仕方ない」って言う声は少なくないが、そうなのか? もうちょっと……進歩してみない? って思う。21世紀だぜ?
大体守るも何も、国民がいなけりゃ国家は成り立たんのです。その国民を大勢死なせておいて守りたいものは何なんだろう。じゃあおとなしく侵略されろっていうのか! とキレられそうですが、そんなこと言うてへんやん。侵略せず、侵略されない関係性を築いていくのが知的な「スゴイ」国家じゃない? 外交お得意な方がトップにいるなら大丈夫でしょ? 外交のなんちゃら言うなら本気見せろよって思う。
あと、社会主義/共産主義では自由がないっていう誤解もな……それらを民主主義の対義語だと思ってる人多すぎ。民主主義の反対は独裁主義です。頼むからそのくらい理解してから発言してくれ(涙)
社会主義/共産主義の反対って言ったら資本主義になる訳ですが、私はこのコロナ禍において、資本主義社会の限界を感じています。自由競争で利益を追求する仕組みでは、貧富格差が拡大するばかり。おまけに新自由主義と相性がいいので、人々は自己責任を強要され、政府は出来る限り手を引いてどんどん民営化しようとします。
自粛で経営困難に陥り廃業する人、自ら命を絶つ人、身近な人の命を絶とうとする人。連日悲しいニュースが入ってきます。諸外国のような経済的支援がなぜできないのか。一度金を出したら今後も国民にせびられる、とでも思っているのかもしれませんが、こんな時に金出せねぇ奴が税金取るなよと。
ベーシックインカムがいいのか悪いのか、私は専門ではないので分からないのですが、定期的な収入があったら国民は働かずに堕落する、っていう決め付けもどうなんだろうなぁ。働きたい人は収入あっても働くでしょ(そういう人知ってます。自分の楽しみのために働くのだと……そんな台詞言ってみたい)。働かざる者食うべからずの社会より、働かない人も働けない人も生きてていいんだよ、って社会のほうが優しくない?
生活保護バッシングとか、あいつ働いてないのにずるい、みたいな感覚って、格差社会だからこそだと思うんです。みんな生きていくのに必死だよね。きつい仕事、嫌でも続けてるもんね。その割に報われないもんね。誰もが最低限報われる世界だったら、僻みや妬みで分断されることなく、互いの違いを尊重できるんじゃないかしら。この尊重ってのは、「私もあなたもスバラシイ」ではなく、「私とあなたは違うし、別にたいしたことない人物かもしれないけど、それでもいいじゃんね」っていうニュアンスだと思ってる。スバラシくなくたって生きてていいんだよ。人生エンジョイしていいんだよ。
降りかかった不幸も「自己責任」と言われてしまう社会じゃあ、感染者が謝罪するような空気になっちまうわな。市民同士で監視し合って変なの。営業通報って何なの勘弁して。自粛しろ、だが金の世話はしねぇ。飢えるあまり営業しようもんなら晒すぞって。え? 今のほうがよっぽど自由なくない?
やっぱりさ……国として体を保ちたいなら、せめてポーズでも「人の命と生活守ります」って姿勢見せなきゃだめだと思うんだよ。新自由主義万歳なのは知ってたけどどこまで手を引くつもりなんだ政府、って思ってしまう今日この頃。取り繕うことさえしない感じがいっそあっぱれ(褒めてない)
本当に国を愛するってどういうことなんでしょうね。あかんことにはあかん言わなあかんやろ。愛していればなおのこと。

そんなこんなで、「さぞ魅力的な作品を書かれる方なのだろう」と期待して開いたウェブページは閉じました(笑)
なんかな……人と人が通じ合うための言葉を作品として扱う人が、権力に媚びた、排他的な思想を持っていることに疑問を感じる。ショックだった。まぁ作家()の中にもネトウヨはいますからね。消費者がネトウヨならそれも成り立つ訳か。
単に小説をどう書くか、ではなく、もっと大きなことを考えさせられたように思う。疲れた。本来の目的じゃないとこで疲れた。
こういうこと書くとパヨクとか言われるんでしょうが、右も左もあるかいな。私は私、ど真ん中を行くのよ。そもそもそういう、名付けられた集団に属するのがキモイので無理です。だってマイノリティの権利、とか高らかに叫ぶ団体に顔出しても、問答無用で戸籍上の性別扱い受けるんだもの! 誰も信じられっか!
ということで別にどっかの回し者とかじゃありません。眠い。

先日は未熟なことを書いてしまい、深く恥じ入っているワシです。こんにちは。
「評価されない」ことへの嘆きは、創作勢の中でも珍しくないものだと思うのですが、自分は根本が間違っていました。そこに気付いたので書き留めておく。

まず、自分は集中力がないのと、外部からの影響を(善悪関係なく)受けやすいので、殻に閉じ籠らないと制作に向かえないタイプです。以前Twitterで(楽しかったのですが)どっと疲れてしまったこともあり、「双方向環境下での創作物発表」に臆病になっています。現在、一応はTwitterアカウントを稼働しているのも、先日のサーバーダウンがあったからです。サイト・ブログともに更新できない期間が一週間近くあったので、まったく違う場所で発信する手段を持っていないと「サーバーダウン中です! 閉鎖じゃないよ」を伝えることすらできないのだ、と痛感しました。そういう訳で、現在のあれはそもそも「サーバーダウン等緊急時発信用」なのです。ただ本当に緊急時にしか使わないとなると、アカウントの認知さえしてもらえないため、最近は壁打ちと化しています。少しでも動かそう、と思って。
とはいえ、低浮上というか浮上しても沈んでいるようなアカウントなので、フォローしていただくのも恐れ多いです(通知を見逃していることも多く、無反応ですみません)。存在意義を見失えばすぐにも消してしまいそうなアカウントですし、自分がまだあの場所の活かし方を模索中なので、当面は(いやもしかしたら半永久的に)一方的な発信の場になるかと思います。決して、交流したくない、お高く留まっている、とかじゃなく、以前のように義理だけで優しくされたりお手間を取らせたりすることが申し訳ないのです。自分も人様に構う余裕がないので、してもらってばかりだと恐縮してしまう。めんどくさいけどこれが私の仕様です……HSPあるある許してください……

で! ここからが本題なのですが、そもそも自ら双方向のコミュニケーションを(表面上)避けているくせに、「評価されない」ことを嘆くのはお門違いだったッ……! これが一つ目の私の間違い。
反応や感想がほしいなら、自分からそうする人にならないと! だがめちゃくちゃ元気なときじゃないと人様の素晴らしい作品を拝見することすらままならんような人間だ……人間関係において「してもらってばかりが心苦しい」と言っておきながら、創作の場ではその逆を他者に求めていた訳です。こんなおかしなことはないぜ。

それから、現在私のやっている多くは二次創作です。自分の創作物がほとんど二次創作であるにも関わらず、「そこに頂ける評価=自分の作品への評価」であると捉えていたところに、二つ目の間違いがありました。
私の創作物を見てくださっている方々は、純粋に私の作品を鑑賞し、私の作品に向き合っている訳ではない。「私の創作物」の世界を覗くことで、実際はその向こうにある「原作」を鑑賞し、向き合っているのですね。完全に見誤っていました。傲慢でした。本当に恥ずかしい。
だから、私の吐き出すものが二次創作である以上、文章が上手いとか下手とかそんなのは関係なかった訳です。いかに原作を解釈するか、その世界観を広げるか、あるいは新たな展開を加えるか。大事なのはそこだった訳です。「原作では描かれていないこういうシーンが見たい」という読み手の需要と一致したとき、初めて評価され得るものになる。「こんな解釈ができるのか、面白い」と思ってもらえたら最高。ただ「存在する」だけでは、自己満足が形を与えられた姿に過ぎない。

ここで初心に返ってみるべきなのだけど、そもそもだ。私はなぜ当初の「自己満足」を、わざわざウェブ上で公開しようと思ったのか? 人様の作品を楽しませてもらったから、自分も誰かを楽しませる側に回りたかった? そういう恩返しと、些かの傲慢さがあったのは確かだろう。でも、もっと単純に考えて……ただただ、自分の好きなものを誰かと共有したい、「ワシはこれいいと思うんだけどみなさんどう!!」という、ひたすらポジティブな感情、非常に友好的な他者へのはたらきかけ、お裾分け的嬉しさ楽しさではなかったか。
それなのに、「人のために書くのではない」「評価されるものを書くのではない」「私は私」という素っ気なさへ、いつしか創作(物発表)の軸が変化していた。確かに、二次創作である時点で、全部が全部「私のため」であるのは間違いない。自分が書きたいから書いた。書かずにいられないから書いた。ただ、「極めて個人的な楽しみが、誰かの楽しみにもなるのだとしたら儲けもの」くらいの気持ちでも、「他人の目なんて関係ねえ」というスタンスでいれば孤独になっていくのは当然だったのだ。

そこで、評価される≒露出が多い=アピールが上手い創作者さんって、何が違うんだろう? と考えてみた。見せ方が上手い人って絶対自分に自信あるよな……と幼少期から考えている根暗なので、ここでも誤りがありました。これが三つ目の間違い。
もちろん中には自信のある人もいるでしょう。「みんな俺を見ろ!!!」みたいな人もいるでしょう。それはそれでいいと思います。でも、決してそういう人ばかりではない。「自分が」どうなのかは関係なく、ただただ、同じ作品を好きな「誰かが」楽しんでほしい、その人に自分の作品を届けたい、という思いがあるかどうか。
そうです。主語が何もかも「自分が」だった私は、完全にここで躓いていました。そりゃ、すべて自分中心に考えていれば、「こんなもの(作品)を世に 出したら刺される」とか「こんな下手なのに堂々と公開するなんて恥ずかしい」とか思って引っ込み思案になるでしょう。「下手だけど見てほしい! 似たような好みの人に届いてほしい!」と思っていたら、(否定的な)周りの目を気にするよりも、いつか届くかもしれない「誰か」を思うことに気持ちが向く。……まぁ、その結果見てもらえなかった場合に心が折れる、というのはあるかもしれないけれど、公開時点でうじうじしているのに比べたら十分、精神衛生上良好だと思うのよね。そうか、そう考えればよかったんだ……刺されることばっかり考えてた……

まさかこの歳になって、自分の精神的未熟さ、根本的な間違いに気付くことになるとは。本当に本気でがっつり恥ずかしいですが、気付けてよかった。気付けないまま、心のみならず筆を折ることにならなくてよかった。本当によかった。
突然こんな風に考え方を変えられたのは、偶然にもよい言葉に巡り合えたからです。何となく、マシュマロちゃんさんのページを見ていたところ、利用者からの創作にまつわる質問になかなか核心を突いた回答をされていて、思わず唸ったのでした。そういう訳で、以上はほとんどマシュマロちゃんさんの受け売りです。中の人(って言うとAIですって返されるけど)どんな人なんだろう。ってちょっと思った。

しかし、SNSから距離置いて世捨て人と化していたここ数年間が、過去に比べて精神的に安定し(これでも安定していたほうだったのだ! 驚愕!)、創作に集中できたことは間違いない。自分の自意識過剰な、卑屈な基盤がひっくり返ったことで、今後少しずつ変化していくのかもしれないけれど、とりあえずすぐさま「めっちゃ明るくて交流バンバンする人」になるのは難しい。焦らず養生します。大丈夫。認識が変わったのだから、次は行動を変えられる。ぜったいだいじょうぶだよ(:3_ヽ)_
まずは「見られること」に慣れなければいけないのかな、という気はしています。

しかし……創作にまつわることが解決しても、「人として許容できない」部分に関してはどうにもならないのだよなぁ、と今書いていて思い出しました。pixivとか、作品だけが流れてくる場所ならいいのですが、Twitterはね……。私は生まれ育った背景上、どうしても、差別というのが許せなくて、苦しくて、しんどいのです。きっと世の中の大多数が思っている以上に、この世には差別があります。「え? これも差別になるの?」みたいなことでも、私(や人権に敏感な人)の目にはまごうことなき差別として映るのです。だから、人々が無意識に、無自覚に垂れ流すヘイトスピーチが、一層私をTwitterから遠ざけてしまう。もちろんSNSに限らず、日常生活でも息苦しい思いをしています。特にこの数か月間のひどかったことと言ったら! 中国への差別(コロナ世界中にばらまきやがって、とか、国として遅れているから対処できなかった、とか)、感染者への差別(易感染だからといって職場でウイルス扱いされるのは本当に参った。どうして有名人の死は嘆くのに、身近な感染者(や感染が疑われる者)は村八分にするの?)、生活保護受給者への差別(定期的な収入があるのだから10万円もらうなとか)、高齢者・病気持ち・障碍者への差別(普段から医療現場を疲弊させているとか、生産性がないから重症化しても他の人に呼吸器譲れとか)……書き始めたらきりがないですが、一日出勤するだけでもどれだけ同僚の心ない言葉に心が死にかけたか。在宅勤務の体制がようやく整ったので、何が嬉しかったって、職場で嫌な話を聞かされることがなくなった。電車通勤も嫌だったけど、それよりもこっちのほうが辛かったから。本当にほっとしている。
私は頭の固い人間なので、どんなに親しく接してくれる人でも、どんなに素晴らしい仕事をこなす人でも、人として守るべき線を守れない人を尊敬することはできません。仲良くしたくもない。表面上は笑顔で接していても、心の中ではあなたを軽蔑していますよ、という相手が山ほどいる。
だから、創作云々とか関係なく、人と関わることそのものが怖いのかもしれない。仲良くなった人が、実は差別主義者だったらなんて考えると吐きそう。差別は意識的であっても、無意識的であっても許されるものではないと思う。私が特に最近危惧しているのは、ライトな差別というか、カジュアルな差別。美味しいお店の話するくらいの気軽さで、話のネタに差別を取り出す。そういう場面が日常でも多い。それが匿名の場ともなれば、さらに抑止が外れることも何ら不思議ではない。
無自覚な差別については、個人の人間性を非難するべきでないとは分かっています。それは社会が作り出した「こういう人たちにはこういうこと言っていいんだよ」という空気の所為だから。つまりこの空気が、差別をカジュアルなものにしているんだろうな。でも、「こういうこと(見下げる、馬鹿にする、笑い者にする)言ってもいい」人なんて存在しないんです。誰もが無条件に尊重される、というのが人権だから。「良い差別と悪い差別」とか、差別主義者とバトるとよく聞く言葉ですが、これもよく分からない。いい差別とかないから。
私の努力がまだまだ足りないのも確か。せめて身の回りだけでも、差別発言を指摘して、空気を変えることをしていかなければ。でも、どうしてそれがなかなか難しいって、指摘すると人間関係が壊れるからなんですよね。心の中では軽蔑しているくせに人間関係も何も、と思われるかもしれませんが、私は相手が考えを改めて、自分の非をみとめて、差別発言をやめてくれるならそれでいいんです。いつまでもネチネチ言ったりしない。でも、ライトな差別が今や「日常的な娯楽」と化してしまっているこの社会では、私のような者は「楽しみを奪う無礼な人」になる訳です。だから、人間関係が壊れる。
これが大好きな作家さんだった場合を考えてみてください吐きそう!! いや、実際、私が過去にTwitterを辞めアカウントを消したのも、ここが我慢ならなかったからなのです。今後繋がり得る方たちがそうであるなどと思っている訳ではありませんし、決めつけている訳でもありません。でも、怖いのです。トラウマなのです。マイノリティ要素の濃縮物のような私にとって、差別をする人は、自分に危害を加える人だから。

あ……やばい、創作への認知を変えたところで解決しない気がしてきました。人間全体への基本的信頼を回復せねば、私はいつまで経っても交流できないッ!!
はあ……やっぱダメだ、創作のことやってるだけじゃダメだ、やっぱりダメなんだ……つらい、しんどい、私だって好きでカウンターとかやってるんじゃない……できればやりたくない、創作だけしていたい、差別のない世界に住みたい、でもそのためには社会にはたらきかけ続けるしかないという圧倒的矛盾感!!
分かりました。嫌でも日常において人と交流(しかも良くない交流)をしていかなければならない以上、無用なストレスは抱え込まないに限る。分かった、よく分かった……やはり早々にSNS復帰するのは無理だ。日常がマシになるか、私がタフになるかしないと、とても余力がない。
結論出ました。つらい。こんな長々と思考をまとめるために書き綴っておいて、行き着く先は一周回って現状維持じゃねーかよ。進展のなさ。やばい。(語彙力)
まぁ、でも創作単独におけるストレスが軽減したので、よしとしましょう。自分で首を絞めていたね、っていう話だった訳だけど。うん知ってた。

…………よく食ってよく寝ます。

□    漂流中
こんにちは。
UTAU音源を上げているMQubeのサーバーダウンが続いているようなので、SoundCloudのアカウントを作ってみました。以下プレイリスト。



こういう埋め込みができるのは面白い。
にしても、SoundCloudはガチな人しか使っていないイメージがあって、手を出すのにかなりの勇気を振り絞りました。私のようにお遊びみたいな音源を上げている人はいないと思う。まぁ最近ではけっこう過疎っているようなので、検索から辿り着かれることもそうそうあるまい。
作品投稿系のサイトでやりがちな、とりあえず非公開でアップ→新着として流れに流れたであろう頃に公開設定に変更、というビビり全開な感じで作品置いてます。どれだけ人の目に怯えているのかと。
(MQubeの前身の)tmboxも、使いやすい~とか思っているうちにサービス終了してしまい、居場所を探すのに苦労したなぁ。音源置き場ならnoteという手もあるなと思いつつ。あれの仕組みがよく分かっていないので、そのうち気が向いたら使ってみるか。

お遊びみたいな音源、というか私の吐き出すもの全部そうなんですが、作っている本人は全力です。全力でこれかい、と鼻で笑われそう。自分ほどの下手の横好きもなかなかいないだろうなぁ。才能ない人間の悪足掻きも、温かい目で見守ってほしいよね。
作品の公開場所については常々悩んでいるのですが、もう開き直って、罵倒されない限りはしれっと置いとくことにします。優しい世界になれ~~

拍手ありがとうございます!!! 生きる!
(↑分かりやすい)

そういえば、またまたサイトのデザインを試作しています。
ページの上部にメニューが横並びになってるパターンって、決して使いやすくはないんじゃないかと思っていて。本当は下部に設置したいのですが、広告と被ってしまってボタンが押せなくなるので、やむを得ず上部に設置しているという事情があるのです(ハッ……お金を払って広告を消すという手段もある……)。
で、よく見かける三本線タップしたらメニューが出るあれ(ハンバーガーメニューというらしいですな)にしようかなと考えています。
半年前もその構想はあったのですが、いちいちメニュータップして開いて閉じて、ってうざいんじゃないかな、と思って実装に至らず。縦画面(スマホ)が主流の今、メニューを開いたままコンテンツを見せる、というのは画面の幅を考えれば現実的でないし。
片手操作を想定すると、右手持ち左手持ちどっちが多いんだろうとか、左手持ちで右側メニューを何とか操作しようとしたらどんなサイズでボタンとメニュー作ったらいいんだとか。云々。試行錯誤して、大画面端末でもテストしているんだけども。もう少し様子を見てから実用化を考えます。
作品もくじページの文字(リンク)が左寄せなので、それを考えてもメニューは右側に配置するほうが都合がよさそう。ということだけは分かった。
そしてお金を払えばすべて解決するんではないかと気付いたのだった。それもありだな。

こんなん。(左)メニュー縮小時(右)メニュー展開時
  

どうなんだろう。うーん。
とまぁこんな息抜きばっかりしていないで、作文しよう。外出できないからにはひたすら作文だぜ。しかし、そろそろ息が詰まりそうですねぇ。



不意にこの曲を思い出したので貼っておく(曲の情報を何もかも忘れていて根性で探した)。
こういう甘美な仄暗さがときどき、それっぽいもの書けよ、と囁きかけてくることがある。

□    無題
気紛れにTwitterを覗いていたら、忍者ツールズの多くのサービスが終了するとの情報を目にしました。サービス終了のメールが来た~とのことでして、メールボックスを確認したもののワシのところには来ていなかった……なぜじゃ……(まぁいいや)
カウンターやメールフォーム、アンケートフォームなんかが使えなくなるようです。偶然にも、先週の段階でメールフォームを別サービスで代替していたので大きな影響はない。カウンターに関しては昨年内(?)に外していたし。ブログやホームページについても時間の問題か……というツイートを見かけましたが、そのときはそのときで考えます。使い慣れているし、SSL化完了しているし、自分にとっては使いやすいサービスなので、このまま使い続けたいものです。応援のために課金すればいい?
それにしても、こうしてどんどん個人サイト時代が遥か昔のことになっていくのが何とも……寂しいですね。自分の作品を好きなタイミングで上げたり下げたり修正したり、ページをカスタマイズしたり、というのがSNS系では自由にできないので、結局個人サイトに戻ってきてしまうんだなぁ。ウェブページの見た目ぜんぶ含めて表現だと思っている勢なので(同様に、歌詞カードやジャケット、CD自体のデザインも含めて音楽アルバムだと思っている。楽曲をデータで買うことに抵抗を覚えるタイプです)。

ところで、コロナの影響であちこち混乱していますね。かく言う私もまさに、搔き乱されている現場の一つにおります。あくまでも衛生管理に携わる者として申しますと、今回の(今回も)一連の対応はめちゃくちゃです。場当たり的とんちんかん対応、のように見えて緊急事態条項のシミュレーション? とか勘繰ってしまう。くわばらくわばら。
ウイルスにやられるより先に、国にやられそうです。人の命と生活を何だと思っているんだろうね。こういうこと書いてるとそのうち消されそうだな。
とか暗いことを考えていると免疫力も下がるので、楽しいことも考えましょう。創作して、しこたま食って寝るぞ~~(と言いながら悪寒の止まらぬ今日)。正直ここまで来てしまったら、嵐が通り過ぎるのを待つしかないのですが、個々人が賢明な思考と判断をして、少しでも被害が広まらぬことを願います。とまた暗いことを考える始末である。

□    向かい風
↑の記事に続きで書いていたのだが、なんだかダークな内容なので冒頭とギャップがありすぎて、記事を分けて投稿することにしました。まとまりのない独り言です。
 どうでもいいんだけど、ずっとパスワード忘れてログインできなくなったとばかり思っていたpixivアカウント(サブ)にログインできた。間違ってたのIDのほうだった。BJだけに特化したアカウントのほう(今思えばなんで別アカウントにしたんだろう)。
 描いてた頃が若すぎて、今じゃ絶対あのテンションでは描けないのよね。老いたという意味では作風が変わったのか。あれが自分の全盛期だったと思う。他者による評価という面だけを見ればね。
 そうそう、今朝Twitterで、手塚先生の作品を学習したAIが新作を描く、とか上がっていたんですが、美空ひばりさんのAI紅白と同じにおいがしました。もっとも私は紅白に興味がなさすぎて、その実際を見た訳ではなくて、何を言える立場でもないのだけれど。
 故人を技術で復活させることの意味、作者という“人”を伴わない作品の意味を考えると、薄暗い思いがします。作品に人間の人格や思想が不要なのだというなら、それはとても空虚なものになりはしないか。いや、もしや現代社会ではそのほうが都合が好いのか? などと勘繰ってしまいます。表層的に作品を消費する者が多ければ多いほど、人間は扱いやすくなるから。作品から何かを受け取り、思考し、自らの生き方に反映させようとする人が少ないほうが、喜ぶ人もいるでしょう。作者や作品の“ブランド名”だけで人々を統率できれば、言うことはない。そんな穿った見方をしてしまう。
 あるいは、AIが人間にどこまでも近付けると言いたいのであれば、今度は人間というものの薄っぺらさに愕然とする。人の心ってのはその程度であり、そしてその程度でいいと思っている人がいるってことだ。一方で、所詮は人間が作り出した程度の、お粗末な点が多々ある世界の中で“学習”するAIが、どの程度の存在になれるのかとも思う。「ヒトラーは間違ってない」と言い出したAIの存在も記憶に新しい。
 もう10年くらいの間、「国家に支配され利用されるサブカルチャーは“サブ”カルチャーたり得るのか」ということを考えているのだけど、骨抜きにされた文化に群がる人々を遠巻きに見て、この時代にもてはやされる人間の思想や表現というものが、ものすごく浅薄で空虚なもののように感じています。中身の詰まったものを追い求めて、あれこれと箱を開けてみるのに、どれも中は空っぽという。手当たり次第、外れくじを引いて回っている感覚。そして、自分の表現の中でも少数ながら評価されるものもまた、そういった空っぽのもののうちに属するのではないかと考えると、ぞっとします。だって人間は評価されたい存在だから。評価されるほうに傾いていくのは当然で、自分の中身が濃度を薄めていっていることにさえ気付かぬまま、ついにはぺらっぺらになってしまうのではないか、と。たいした中身もないのに怖がってみたりするのだ。
 で、何が怖いのかっていうと、それってつまり私という固有の人格に存在意義がなくなってしまう、ということなのだよね。気持ちいいだけのものなら、きっと誰だって書けるんだよ。私はそこに落ちたくない。そこから抜け出したい。
 なんでこんな話になったのか自分でも分からないけれど、とりあえず思うままに。人間はどこに向かうのかなぁと、世の中の流れを見ていて思います。その荒波に飲まれぬよう、自己を保ち続けたまま生き抜くというのはなんて難しいんだろう!
こんばんは。本館でもアナウンスしている通り、1月25日から28日までの間、忍者ツールズのシステム障害のためサイトもブログも表示のできない状態でした。また、そこから更新機能の復旧に時間がかかったため(FTP復旧は2月1日)、すぐに障害状況を報告することができませんでした。最初はここまで大規模な障害だとは思いもせず、これまでのようにその日のうちに復旧するだろうと見込んで、暢気にローカルで雑記を書いておりました。ようやく時間ができたので、追記をしつつその記事を上げます。
 --------------------
 サーバーをお借りしている忍者ツールズが、大規模な障害に陥っていたようで、25日朝から更新作業をしようと思いつつサイトにつながらない状態でした(当初は人為的なサイバー攻撃かと疑心暗鬼になっていました。恨みを買う心当たりがありすぎるからね……笑)。それにしても、単一のサービスに留まらず全サービスが停止していたので、閉鎖じゃありません~夜逃げでもありません~ちょっと待ってね、というコメントが出せず、お手上げ状態でした。僻地とはいえ、トラブル時に何もコメントをしないのは(する術がないのは)サイト管理者としていかがなものか、と反省。こういうときまったく別の、私を私と認識してもらっている場所で、きちんとアナウンスができたらよいのですが、実質SNS隔絶状態でサイトをやっているので、とことん詰んでしまった訳です。
 一応、mqube用のTwitterアカウントがあるのと(今回はこれを緊急アカウントにしました)、pixivのフィードなんかを使えば実現できそうですが、たとえ日常的にサイトにそれらのページを貼っておいたとして見る人いるか? とか考え出すと疲れるのでやめる。単一のサービスに依存しない連絡手段は持っておくべきだなとは思いましたが。壁打ちアカウントは永久封鎖しておきたいし。とりあえず、今回使ったアカウントをもうそういう用途として残しておいて、今後何かがあったときは発信ツールとして意味を成すだけの使い方を、常日頃からするべきかなぁと。
 それにしても。今回のようなトラブルがあれば、ちみちみ書いてきたものなんて一瞬のうちに見えなくなって消えちゃうんだなぁ! とか思うと、なんとも言えません。見えないものは存在しないものだ。存在していても、他者に認識されなければそれは存在しないのと同じだ。
 もちろんデータはすべてローカルにあるので、最悪の場合いくらでも出直せるんですがね。このネットという大海原の中に一度投げ出されたら、私を私と認識してくれる人なんているのだろうか。他者とのつながり以前に、自分という存在そのものの希薄さに途方に暮れます。どうしてこんなにネガティブなんだ。がんばれ。
 そうそう、失踪した訳じゃないよ! という生存報告の意味で、pixivを避難場所にして少しだけ作文をupしたのだけど、あれもそのうち下げようかなぁと考え中です。だって場違いすぎて。お邪魔してすみません、って感じだもの。もうシャバには出られねぇぜ。黒双子の供給に寄与したい思いはあるけど、一般的にはあれ地雷なのかな。ていうことさえ隠居中の身では知ることもできず、振る舞い方を決めかねている。浮世は大変。
 余談(?)ですが、忍者ツールズの社員さんは昼夜問わず今回の対応にあたっておられたのではないかと思って、心配しています。Twitterの公式アカウントには、復旧状態の報告の度に厳しいリプライが付いていて、一刻も早く復旧をと願うユーザーを前に、過労を厭うこともできなかったのだろうなと。私のような無料ユーザーはのんびり復旧を待っていたのかもしれませんが、まぁね……お金払ってたらね、厳しい言葉も出るのか。でもどこのサーバーを使ってもダウンのリスクはある訳で、それで商売が立ち行かなくなるような営業をしているのであれば、それはリスク管理がちょっとお粗末なのでは……とか言ってしまうのは職業病ですゲフンゲフン。忍者さんに肩入れするのはもう10年近くお世話になっているというのがあってですね、つまるところ贔屓目です(自覚はある)。ただね、なんかこう、金払ってたら最高のサービス受けて当然だろお客様だぞオラオラ、っていう「お客様は神様」社会の風潮にそもそもモヤっているので、今回の「さっさと仕事しろ」「もうさよならですね」リプにはやっぱり共感できないのであった。

 更新が滞っている間にたくさん拍手をしてくださった方、ありがとうございました。このままドロン……するつもりもなかったのですが、こんな辺境の地に訪れてくださる方の存在を感じ取れると励まされます。書けなくなるまでは続けよう、と思えます。

□    放してほしい
こんにちは。
悪い癖で、またもや、またもやサイトの見えないところをいじっていました。htmlやcssについてろくに勉強もせずにサイトを作っているので(強行という)、あらかた作り終えてから粗が気になり出すというね。たぶんリンク切れはないと思いますが、表示崩れなど、とにかく閲覧に支障のある不具合に気付かれた場合はご遠慮なくご指摘ください。
どうせまた一年も経たぬうちに、ちゃんと勉強なさっている方から見れば「当たり前じゃん」っていうようなしょーもないミス(あるいはミスと言うほどでもないが稚拙なコーディング)に気付いて修正したくなりそうなので、とりあえずtsubasaコンテンツだけ手直ししていました。大量のファイルを修正しなくて済むようにスタイルシートを導入したのに、そもそもスタイルシートの作り方が未熟なので、それに伴ってhtmlファイルの記述も修正しなければならないというね。亀の歩みよりも学習スピードが遅いので、ある程度時間が経ってからようやく、根本的な勘違いや至らなさに気付くことが多々あります。後から後から出てくるからきりがない。
しかし、数か月前まではこういう作業もwindowsのメモ帳でやっていたので、非常に非効率的でした。フリーのテキストエディタを導入し、便利な機能やショートカットを利用しているからまだ短時間で作業できています。ふう。大体、開いたファイルをコードごとに配色してもらえるだけでも、視覚的に作業効率がめちゃくちゃ上がります。よくメモ帳なんぞで作業していたな、とつくづく思う。根性すぎる。
テキストエディタのマクロ環境を少しずつ整えてみたら、さらに作業がしやすくなりそうになってきました。楽しい。これで、執筆→html化(本文中にタグ挿入)の地味作業が少し楽になるはず。手作業だと、見落としとか抜けも多いからね……
最近はプログラムの勉強もしてみたいのですが、もうからっきしセンスがないですね! 腰を据えて勉強するほどの時間もないし。でもできたら楽しいだろうなぁ。なんて考えています。

ところで、つい先ほど気付いたのですが、忍者ブログHTTPS化したんですね! びっくり。そういうことはもっと大きな声で言ってよ~(にやにや)ってしてましたが、わずか三日前のお知らせなんですね。以前、SSLについての記事で本音をぶっちゃけて書きましたが、まさかこんなに早く実現するとは思ってもみませんでした。もちろん私の独り言なんて、今回のことに関係ないだろうけれども。
で、そう。まだまだブログのHTTPS化には時間がかかるだろうなぁ(年単位)と思っていたので、ブログのデザインをすっかり別タブ表示用にいじってしまっているのです。HTTPS化に伴い、サイトのフレーム内に組み込むことも可能となった訳なのですが、あえて別タブで閲覧することを想定してデザインテンプレートの体裁を整えたので、サイト内に組み込んでみると違和感……。別のデザインにして組み込むか、ちょっと検討中です。今の(PC用テンプレート)も結構気に入っているので。
とにもかくにも、運営さんには感謝です。

そうそう、win7のサポート終了に伴って、ようやく新PCを本格的に使い始めました。アプリケーションやデータファイルの環境も整い、上記のようにサイト形成にまつわる地味な作業もできたので、安定して使っていけそうです。テンキーの付いてるキーボードと、高解像度のモニターにはまだ戸惑うけれど。あと常にディスプレイを夜間モードにして使っている(笑)ことごとく光が苦手……(でも白背景が好きという矛盾。そんな訳でサイトのデフォルト背景は白なのです)
これを機にプリンタもwifi接続で使うことにしたのですけど、線が一本なくなるだけでも快適度上がりますね。そういや最近は作業中のイヤホンもワイヤレスです。いい音で聴きたいときはワイヤード。縛られずに生きたい(:3_ヽ)_

□    想うあまりに
休暇中に作文進めるぞー! と思っていたのに、突然の体調不良でくたばっています。更新もできてなくてモヤモヤ。明日更新できたらなと思います。
座っていられないので、長時間移動を余儀なくされる帰省は予定をずらし……年内に帰れるといいんだが。
気持ち悪くて、飲み物さえ喉を通らぬ。柔軟剤の匂いですら吐き気。……えなにソウゾウニンシン? 黒様のこと考えすぎた??(違います)

おそらく、冷えから来る自律神経失調です。忙しい年末年始、皆さまも体調にはお気をつけください。

□    付け焼き刃
遅ればせながら、サイトをSSL化(https化)しておりました。その覚書き。

▼httpsの"s"はsecureの"s"!
●httpとhttpsの違いは、通信が暗号化されているかどうか。HTTPSとは、SSL(TSL)という仕組みによって暗号化された状態でHTTP通信が行われていることを示す。
●個人情報を入力するようなページでなくても、第三者によるなりすましや通信の盗聴、通信データの改竄を防ぐために、SSL化(いわゆる常時SSL化)が推奨されている。

▼http→httpsリダイレクトの方法
 たとえばindex.htmlをhttpで開いてもhttpsで開いても、表示されるのは同一のページ内容である。違うのは、通信が暗号化されているか否か。で、サイトを常時SSL化するにあたって困るのは、非SSL状態で貼られた他サイトからのリンクやブックマークから閲覧者が訪れる場合。こちらはhttpsで見せたいのに、アクセス方法によってはそれが実現できない。そこで用いるのがページの「リダイレクト(転送)」です。
 どうやら一般的には、.htaccessファイルに処理内容を記述して転送を実行するらしい(自動転送)。サーバーの最も浅いディレクトリにこのファイルを置いてやることで機能するはず、なのですが、残念ながら忍者ホームページは.htaccess非対応でした。が、javascriptでリダイレクトっぽい動作を実行できるらしいとのことで、今現在、とりあえずはそれで間に合わせている状態です。記述はこちらを参考。仕組みとしては、
①IF文を使って、プロトコル名が「http:」かどうかをチェック。
②「http:」ということは、HTTPでのアクセスである。そこで代わりに「https:」を代入して、HTTPSでのアクセスに自動転送する。
ということらしい。
 いやーすごいね! 考える人天才だよね! コーディングの世界は奥が深い……深いぶん自由度が高い。一つの方法が上手くいかなくても、発想やツールを変えることで逃げ道がある訳だ。すごい。

▼備考:登録サーチサイトとブログのこと
1.登録サーチサイト
 SSL化にあたって、当然ながらサーチサイトの登録情報(URL)を(httpからhttpsに)修正しようとしたのです。そこでいろいろ問題に直面したので、覚書きとしてここに残しておきます。
●情報修正完了:黒ファイbookmark/オー! NARUTOサーチ
●情報修正不可:ツバサWEBリング(*1)/NARUSEARCH(*2)/リボーンCPサーチ(*3)
(*1)おそらくサーチの仕様ですが、httpsで登録しようとすると誤入力エラーが出ます。やむなし。
(*2)修正画面へのリンクを開いてもまっさらなページが表示され、パスワード入力さえさせてもらえません。お知らせ掲示板もサービス終了していて不明。やむなし。→(11/30)ページのソースを確認したところ、どうやら<template>タグが原因のようです。IEでアクセスしてみたら、修正画面がちゃんと表示されました。IEは<template>非対応のため、結果的に“正常に”ページが表示されている模様、と見た。で、URL変更しようとしたのですが、こちらも誤入力エラーが出ます。やはりやむなし(にしても<template>の挙動については管理者様にご報告したほうがよいのか……?)。
(*3)情報を修正していざ更新ボタンを押すとエラーが出ます。はて。こちらも機能していない様子。やむなし。

2.ブログのサイト内(iframe)表示
 忍者ホームページはSSLに対応したというのに、ブログのほうは未だ非対応のようです。そのため、httpsで開いているページ(のiframe)内にブログを表示しようとしても「このページは承認されていないソースからのスクリプトを読み込もうとしています」との注意喚起が出されるばかりで読み込めない(強行すると当然、該当ページのHTTPSが解除され、「保護されていません」表示になる……)。
 ブックマーク等外部リンクとして開くには、httpでも問題ないようです。ただブログのように、httpsで開いているサイト内にhttpでしか開けない(httpでリンクされている)コンテンツを埋め込もうとするとこうなる。まぁそうだよね、という感じ。
 ブログもtarget="_blank"で開くなら問題にはならない。そのように方法を変えるか、見切りをつけて、SSL対応している他ブログサービスに乗り換えるか。検討中という訳です。悩ましいなぁ。
→ 一応、SSL化している「?」ブログへの引っ越しという手を取ってみたのだが、こちらはフレーム内表示への制限がかけられているようで、サイト内にブログ記事を呼び出すということができませんでした。デザインとかタグ付けとか気に入る点も多く、思わずいろいろ手を入れてしまったのですが、完全にこちらに移行するかどうかは悩み中。なんたって利用者が多い。検索避けしてるけど、記事内の自動キーワードリンクなんかがあってキモチワルイし、小心者のわしには使いづらいです。真面目なこと書くブログだったらいいんだけどなぁ。くろふぁいくろふぁい言ってるだけだしなぁ。
 そんな訳で、一時的に引っ越し先にリンクを貼っていたのですが、ひとまず戻しておきます。こっちのブログがSSL化されることを願って。費用対効果的に期待できないのかな。でもSSL化したら人そこそこ入ってきそうだけどな。

3.外部画像リンクがあるばかりに……
 上記のブログと同様なのですが、外部画像のリンク先がhttpsに非対応である場合、やむなくhttpでリンクを貼っているいた状態です。しかしこれがために、該当の外部リンクを含むページを表示させるとURLバーの鍵マーク(保護マーク)が「!」に変わり、「このサイトへの接続は完全には保護されていません。このサイトで目にする画像は、悪意のあるユーザーによって差し替えられたものである可能性があります」などというギョッとする注意書きまで表示される始末だ。全くもって迷惑千万な話である。日本のレンタルサーバ会社は問答無用で常時SSL化なさい。ビビらされる閲覧者が不憫。それで訪問者が離れようものなら、こちらは風評被害も甚だしい。
→ そんな訳で、ブックマークページを下げました。閉鎖されているサイトさんが半数ありましたし、心苦しいですが……。一部のサーチさんも、相手側から発行されたリンクタグを使用していたのですが、バナー画像がhttpであるため、ここに引っ掛かってくる訳ですね。とりあえずこちらで画像保存させていただき、自レンタルサーバーからhttpsで呼び出している状態です。本当、以前からあるサイトだろうが何だろうが、問答無用でSSL化してほしい。わしのような古い人間は変化についていけない。

▼おまけ
 技術的なこととは関係ないのだけど、SSL化について検索するうち、こんな記事に出くわした。これがなかなか興味深くて、思わず全部読んでしまった。要旨としてはこんな感じだ。
 今や標準インフラであるべきSSLを、有償版との差別化(有償版の特典)として出し惜しみするレンタルサーバ会社のおかげで、個人サイト文化は衰退し、SNSや記事系サイトにばかり人が流入している。軽いノリ、ビジネス、とにかくアクセス数が増えればよいという低品質なコンテンツばかりがWEB上に溢れ、ネット文化自体が衰退してしまった。ふむふむ。ここ何年かの私の憂鬱とぴったり合う(著者は、衰退した文化を再興するため、文化軽視物=新聞記事やニュースはガン無視して文化にだけ目を向けよう! という主張をされているのだが、この点に関しては同意しかねる。くだらないビジネス記事やデマ、フェイクニュースのみを指しているのであれば賛同するのだが、これが世の中で起きている“非文化的な”ニュースを含めて指すのであれば、それはちょっと違うんじゃない? と思ってしまうのだ。一見お硬い、文化的でない世の中の動きも、結局は人の生活と隣り合わせだ。そして、生活と文化を切り離すことはできない)。
 確かにpixivができてから、twitterが主流になってから、WEB上のコンテンツがつまらなくなった。癖の強いものは敬遠されて姿を消し、互いに顔色を窺いながらも、苦手なものにあえて近付いて「傷付きました」報告。みんな何がやりたいの? と思ってしまう。個人サイトはある意味、作者と消費者が上手くマッチングされていた。そもそも消費者は、「自分これ好きそうだな」と思うサイトしか訪れない。けれどSNSでは、流れてくるコンテンツや、検索結果に紛れている「地雷」を完全に回避するのは難しい(個人サイトで完全回避が可能と言っている訳ではない)。作者も消費者も、守られない、無防備な状態にある。
 ただ、これだけSNSが主流になってくると、いつまでも個人サイトに身を潜める自分は意気地なしなのではないか、傷付くことから逃げている卑怯者なのではないか、とさえ思えてくる。自己の内面を野晒しにし、批判されることに慣れなければならぬと、つい最近もそう自身を叱咤したところだ。けれどそれは本当に必要な試練だろうか? 個人サイトという安全地帯に籠り、人目を気にせず作品づくりに没頭することが、そんなに悪いことだろうか? 私は、作品ではなく他者にかける時間の多さに辟易として、Twitterを辞めた。それで正解だったのでは? と今では思う。もちろんこうして引き籠る以上、批判されることもなければ賞賛されることもまたないのだが、それでいい。創作と承認欲求は、結び付けないに限る。そのほうが単純に、作ることに集中できるから。
 即時的な、表面的な価値ばかりがもてはやされるSNS社会の中で、人々は何かをじっくり作り上げることも、そして作品をゆっくりと噛み砕いて楽しむことも、忘れてしまったのではないだろうか。文化の衰退は、つまるところ“文化的知性”の衰退なのだと思う。
 作り上げる作業自体を楽しめる人は、きっと私のような素人であっても、自らコーディングしてサイトを成形する過程もまた楽しめるのではないか。鶏-卵論争にはなってしまうのだが、作り上げることへの忍耐力の低下とSNSの主流化⇔個人サイトの減少には、悪循環的な流れがあるように見える。
 いや、そもそもだ。みんな単純に、目の前の生活に疲弊し、文化的活動に費やす時間がないだけなのかもしれない。となると事態は一層深刻だ。なぜなら、人間の活力の低下によって文化が衰退していることになるからだ。じゃ、何が彼らの活力を削いだのか――それは、良質な報道記事を読み、社会に目を向けることでこそ明らかになるだろう。ああ、まさかここに繋がってしまうとは(苦笑を禁じ得ない)。
そういえば、サイト改装に伴って、過去の更新履歴も掘り起こしてきたのでした。ブログ記事を延々と遡り、このときコレ公開したのか、と日付を探す作業……地味だ……なんでこういうとこにこだわっちゃうんだ自分……地味に時間かかる作業だ……(時間もったいない)
ここ数年は、何か作るときにはちゃんと日付を残すようにしているのですが、古い作文なんかには何も残っていないので。実家のお古オフラインPCで作った、10年以上前のテキストデータは、サーバーから逆輸入する形で手元に置いているので、今となってはデータとしての作成日時も不明というね。今回の無駄作業で、いつ書いたものかはっきりした作文が結構あって、ちょっと楽しかったです。この頃から考えてること変わってねーな。という感じで。

あと、引き続きPCの移行作業をしているのですけど、数年前に作った手書き動画の編集ファイルを整理しているうちに、あーこれ作ってたときめちゃくちゃ楽しんでたんだろうな、と懐かしい気持ちになりました。今はそんな純粋な気持ちで創作を楽しめているのだろうか。ここ数ヶ月が苦しかったので、もう戻れない過去への憧れみたいなものがすごいです。
あからさまに評価されることも辛いけれど、そういう機会から逃れて孤独でいることもやや辛い。結局はわがままか。人の目があろうがなかろうが、自分のために創作を楽しめる期間というのが、本当に限られているように思う。最終的に虚しくなってフェードアウト、というのを何度か繰り返している気がする。まぁ出戻るんだけどね。
ぼちぼちやります。熱しやすく冷めやすいのがわしの悪い癖じゃ。

拍手ありがとうございます。嬉しい:D

記事が遅くなりましたが、サイト改装、一応は終了いたしました。ということで現在(試験)公開している状態です。これで致命的な不具合とか苦情がなければこのまま行きます。旧レイアウトデザインは残すか残すまいか。悩むところ。

あ、致命的な不具合、の部類に入ってしまうのかもしれないのですが、ページ内リンク(クリックすると、同じページ内の違う位置にジャンプするあれ)を踏んでしまうと、その後ほかのメニューを開いても、ページのレイアウトが崩れてしまうという状態を確認しています。具体的には、メニューバーの裏に一部、ページの内容が隠れてしまいます。
難しいことは分からないのですが、どうやらページ内リンクを発動することで、そもそも上手く効いていたはずのページ上部の余白設定が無効になってしまうらしい。はて。chromeとieで確認済みの現象。firefoxでは問題なかったので、ブラウザ側の癖かバグかもしれません。はて。safariでも確認したかったのですが、所持しているiOS端末がなかなか古く、ブラウザの動きも怪しいため、まともに動作確認できていません(すみません)。

そういう訳で、ページ内リンクで構成していたページのほとんどは、クリックで内容が開くやつ(名前知らん)を代用しています。つばさの自作曲ページ、小説メニューのレーティング表記(からレーティング説明ページの途中に飛ぶリンク)は未着手です。どうしようかな。拙サイトの中でも取り分け閲覧者の少ない部分でしょうし、もういいかな、と放置を決めかけています。この雑さ(すみません)。

余談ですが、win7のサポートが1月で切れるとのことで、やむなくPCを新調しました。予想していたよりも商品の到着が早く、やって来てしまったからにはセットアップして不備がないかを確認せねば……と作業に徹していたら、この記事が遅くなってしまったという訳です。
今のPCは10年使いました。ブラックな働かせ方をしていたにも関わらず、よくぞ持ってくれたという感じです。10年前。PCを所持するのは初めてで、管理方法もろくに分かっていなかったため、結構なデータを抱えてからやっといろいろな過ちに気付きました。今回はその失敗を活かすべく、きれーに整理整頓された使い方をしたいものです。データがとっちらかって、制作物の再現性が著しく低下するような事態は避けたい……「データが元の場所にありません」とか言ってよく叱られます。そして探しきれず(おそらく消し去っている)終わることもしばしば。あんな思いはもうしたくない……まめにバックアップを取るというのは私の雑な性格からして無理ですし(それなら存分に痛い思いをしたまえ、という返しが来そう)

そんなこんなでサイト内も整理整頓を心掛けてゆきます。目指せ有言実行。言ったからにはやるしかないやつ。

□    無題
こんにちは。
一年ほど前、つばさ関連のページは(ソースコードレベルで)調整していたのですが、他ジャンルのページを放置していたので、ようやく整理整頓してきました。見た目はあんまり変化ないはず。リンク切れがないかも一応は確認した。不具合があればご遠慮なく指摘してください。

で、全ジャンル体裁を統一したのはいいのだけど、先日までサイトデザインの変更を目論んでいたのでした。今日日おそらく、PCよりもスマホからのアクセスのほうが多いだろうなぁと考えておりまして、それこそ一年前の時点で新デザインを試作したりしていたのですが、果たしてこれは使い勝手がいいのか……などと弱気になり、PC向けデザインのまま放置している状態です。

新デザインはこんな感じ。


メニューを左側から上部に持ってきたところが大きな変更点。もちろんスクロールしても流れない。
で、これは個人的に実装したい機能だったのですが、背景色変更ボタンを用意してみた。光が苦手なので、白背景は目が痛いのだ……(それならそもそも背景色を白以外に指定しろよ、という感じですが)。
イメージとしてはぴくしぶの小説画面です。背景色に合わせて文字色を変えるところまでしたかったのだが、素人の技術では無理でした。
もうちょっと調整してから公開して、使い勝手の良し悪しを調査しようと思います。

拍手ありがとうございます:-)

こんにちは。
自然災害が続きますね。先日の台風で被害に遭われた方々に、一刻も早く日常が戻りますことを願っています。
身内の者が歳を重ねていくのを見るにつれ、遠く離れて暮らす彼らを案じることが増えてきました。ことに、予見される災害が近付くと心配になります。
先日においては、路上で生活する方が避難所の使用を断られたというニュースもありましたね。税金を納めていない者が国に助けを乞うな、という意見も見られますが、援助者個人の善意や支援では追い付かぬことをこそ行政というのはするべきなのであり、支援の必要な対象を社会全体で支えるために税金という制度がある訳です。うーむ、そこを見誤ってはならない……
あとこの件とは対照的(?)に、地価の高い土地が被害を受け、そこに暮らす人々を嘲笑するかのような反応もあるそうな。単純に考えれば、僻みから来る反応なのでしょう。私も社会の底辺というか、底辺よりさらに底の底の、掃き溜めの中に生きているので、まぁ分からなくもない。妬み僻みから出る感情は醜い。そういった感情を煽るような驕りもまた醜い。けれど最も劣悪なのは、持てる富の多少によって暮らす場所のみならず心まで分断される社会の在り様であり、そして、そういった社会を創ってきたこの国の仕組みであると思います。ふむ。
災害が起きるといろんなことが見えてきますね。政府や行政の対応然り、国民個人の心に堆積していた鬱憤然り……なんだかギリギリの社会に生きている気分になる。

こんなことを考えて悲嘆に暮れながらも、本館の更新は煩悩だらけの残念な感じです。馬鹿をやってでもいないと、やってらんないのだ、ということにしておく。
拍手ありがとうございます!

読んでみたいと思いつつ、物語の長さと、聞くところによる読了ギブアップ率に慄き、手を出せずにいた『ドグラ・マグラ』。憑かれたんぢゃないかと思ふやうな速度で竟に読み通したのであるが、一睡したのちも心奪はれた儘でゐる。
内容に触れることは止します。この作品の読み難さというのは恐らく、トリックじみた構成のみならず、その豊富な文体にあるのではないだろうか。文章的に、現代日本語と比較して取っ付きにくい箇所はそこそこあるな。漢文調や論文調が苦でないばかりかどうやら好きらしい私には垂涎ものでしたが。
読んでいる最中、これが本当に戦前に書かれたものなのか……と何度も疑いました。構成に手が込んでいます。そして古くない(と思うのは、私の読書量があまりにも少ない所為やもしれません)。つい先ほどは、現代日本語に慣れ親しんでいる身では難解だとか何とか書いておきながら、言い回しまで古くないように思われてきたのでした。おかしい。
それにしても、読了した者は一度は精神に異常を来す云々の宣伝文句。知りながら、「ハハン……これくらいがドウだ、たいしたことないじゃないか」と中盤までは笑っていたのですが、読み終えてしまうと笑ってもいられない。こいつは確かにとんでもない(褒めてる)、としばらく空を見詰めました。
しかし私は一向に、精神に異常を来してなどおりません。アッ……最初から異常なのだった……ウーン、うっかり、うっかり。

そういう訳でとんと作文に手が付かなくなり、本館の更新は滞るばかりという。大きな仕事も一つ控えているし、じたばた藻掻き回らず大人しくしていよう。
私一人が藻掻いたところで、世界には漣一つ立ちはしない。よしよし。それならばと一層息を潜めるばかり。

忍者ブログ/[PR]

Template by coconuts
▼ search
●お返事:返信記事

▼ link

▼ category

▼ archives
Download Vivaldi Web Browser Today!