こんにちは、『春還』更新してきました。
私のPCはちゃんと「はるめぐる」で「春還」と変換してくれるようになりました。「くろがね」と「しゃおらん」はどうしようもないので辞書登録しています。突然の裏話。
公開前の最終チェックとして更新分を読み返し、思い出したことがあります。
ちょうど今回の二十話を執筆したあと、性被害者の置かれた立場や世間が思い描く被害者像、みたいなものについて母と議論する機会があって(およそ親子らしくない)、被害者は加害者に対して「やめて」という懇願の口調でもって制止することを「期待されている」・そういった被害者像を「内面化している」傾向にあるのではないかという話になりました。自身の境界を脅かされること、尊厳を踏み躙られることに対し、もっと怒りを見せていい、たとえば表現者は「綺麗な言葉を用いない被害者」というのをもっと描いていい(描かなければならない、それだけのことをされているのだから)、との主張になるほどと思いました。「綺麗な被害者像」「画になる被害者像」みたいなものを、私たちは抱きがちで、それが実際の被害者を二次的に苦しめることにもなっている(被害の種別に限らずこの点はここ何年か気になっていて、ひっそり別の作中で触れていたりもするのですが)。
そんな話をしたあとふと自分の書いたものを見返してみると、全然綺麗な形では終わっていない。「綺麗」なだけのものを書く、ということに関しては必要性を感じられなくなってきているのだろうなというのを、最近の拙作を振り返って思います。もれなく登場人物を苦しめることになるので葛藤はあるのですが、「綺麗」なだけのものを表現するのはわざわざ私でなくてもいいかなと思う。気付いてしまった者だからこそ汚れ役を買って出なければならない。
……というか、私の表現の根底にあるのは「怒り」だからな。自ずとそうなるのかもしれない。
頭の中お花畑ならば、命を削って創作などしなくても生きて来られた。ネガティブな動機では創作は続かない、と呟いた人がいたが、私の場合は続いている。そもそも怒りというのはネガティブなだけの感情なのだろうか? より良く、人間らしく生きていたいと願うからこそ私はブチ切れてしまう。気性が荒いのは認める。
ところで、バレンタインにそれらしい更新をせず過ぎてしまった……! こんな年は初めてでは……! と焦ったのですが、案外そうでもありませんでした。何だかんだバレンタイン要素を入れた更新はしている気がするけれど。今年はね、当然ですが全然です。この話ではとてもね……。
そして、パラレルじゃない永住編のほうでもバレンタインネタ書いてないのでは、と気付きました。中身を思い付くのならばそのうち書くのでしょう。未来に期待。
取り留めもないですが今日はここまで。
拍手ありがとうございます·͜·
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