こんにちは。パラレル更新してきました。
今回は激動で内容過多です。楽しんでいただけたらいいのですが。
黒たん先生の雑な前向きさが好きです。頑張って目指す←
黒たん先生、っていうか、黒たんは、どうしてあのバックグラウンドで(見た目に反して素が)光属性なんだろう。自分だったら完全に闇落ちするんだけど。生来の性分か、否、限られた時間ではあっても惜しみない愛情に包まれて育ったからか。ご両親すげぇな。
彼の場合、意識的に強くなった面も大きいのだと思うのだが、それは彼自身が望んだ結果なので、見目には悲愴感がない。無理して(精神的に)強くなった(=強がっている)感が薄い(というかほぼない笑)。
最近思うのは、弱い者が弱いままに生きてはいけないのだろうか? ということ。私たちは幼い頃から、強くあることを求められる。泣き言を言えば、「そんなことで泣いていてどうする。もっと強くなりなさい」と叱られる。大人になっても同じことで、「これで辛い苦しいと思うのは、あなたの心が弱いからだ」と、弱く在ることが悪であるかのように語られる。弱さは本当に悪なのだろうか?
自分が“無理して(精神的に)強くなった(=強がっている)”タイプなので、こんなことを思うのです。弱くて、生きていけなかった人。生きることを諦めてしまう人。それは彼らが、“強くなかった”から悪いのか? 弱い者を取り込んでは存続することのできなかった世界。そちらの側に、果たして非はないのだろうか?
幼少期から、ひたすら強くなることを求められ続けた。本当の自分はきっと、吹けば飛ぶように頼りなく、弱々しく、今にも誰かに縋りたくて仕方のない子どもだった。本当の自分は、幼少期にすでに死んでいたのだと、今では思う。
(文章を書いていると、どうやら死に切れなかった分が化けて出てくるのだけれど)
幼い自分を弔うつもりで、今を生きている弱い者が、弱いままに生き続けることのできる世界について、考えている。弱さを内包しながら存続できないような集団は、人間的ではないように思うから。今の人間社会は野性だよね(∵)
一年の終わりが近付くと、遣る瀬ない数々の“終わり”を耳にするので、こんな方向に思考が流れてしまいました。私は元気です。強がって強くなった種の人間だけども、歳を取る毎に周囲が引くくらい強くなっているので、強かさが馴染みすぎて「こんなの私じゃない」感は皆無である。ここまで到達するといっそ楽だな。
ところで最近無計画すぎて、クリスマスというものの存在を忘れていました。
クリスマス作文書けるかなぁ……これまでのでネタ切れな感じではありますが、一応はPCの前で粘ってみようと思います。
拍手ありがとうございます!
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