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こんにちは。
何とか夏のお話がもう一本書けたので、連載物と一緒に公開してきました。
でも書き終えて振り返ってみれば、別に夏である必要はないのでは……? とか思ってしまう始末です。でれでれふわふわしているのは年中変わらないのであった。タイトルは、夏の話として書いてしまったがためのこじ付けと、ただのおやじギャグです。おやじです。
おやじは体力精神力ともに限界なので、今回はかなりのセリフ小話になりました。背景とか皆無。漫画で言うたら顔漫画のやつです。もう開き直りました。理想を高く持って書けなくなるよりは、しょーもないものでも量産したほうがいいと思っているので。

話は変わるのですが、昔交流のあった方の訃報を聞き、今朝は衝撃を受けておりました。
あまりにも早すぎる。最近はすっかり疎遠になっており、その方の活躍をろくに応援もできていなかったことを悔やんでいます。こういうことがあるから……人生の終わりは、本当に突然だから……もっと人との出会いを、やり取りを大切にしなきゃいけないと度々後悔するのに。一向に変われない。本当に悔しい。

私が何かしら作品を生み出すのって、死の力に抗うためなんですよね。
死から目を逸らすため。若い頃は、死に魅かれてしまう自分を押し留めるために書いていました。「明日もこの続きを書きたい」と思うことで、生きることに向かえた。心が弱いから、自分の外側に自分の分身を作って、この世界に自己を繋ぎ留めておくしかなかった。
今はもう、死に魅かれることはないけれど、誰かとの別れを経験する度、自分の時間が止まりそうになってしまうことがある。ずっと囚われたままで過ごしてしまう。今となっては、そこから脱出するための手段が創作なのかな、と思います。

あまり身体が強くないので、そちら側へ傾くのは一瞬です。身近に人の死がなくても、常に自分の死を思って生きている。毎日余命を引き算しながら生きている。だからいとも簡単に、「止まってしまった時間」の中に囚われてしまうのだろうな。嫌だな。
自分の残り時間を数える以上、他人のそれにも敏感になってしまうのは仕方のないことで、終わりにばかり注目してしまう交流がつらくなったりする。「来る終わりのために、今こうしておかなきゃ」「この人に会っておかなきゃ」という思考ばかりが私の行動原理のようで、どうにも薄暗い。上手く笑えていない気がする。

「後悔しないように」という生き方が、人間関係の在り方が、悪いとは思わないのだけれど、それだけで生きている自分が遣る瀬無くなったりします。あらゆることを純粋に楽しめなくなるのは、歳を取れば当然のことなのだろうか。いろいろ考えすぎなのだという自覚はある。自分の後悔だけでなく、相手の苦しみを想像して、胸が潰れそうになる。感受性の閉ざし方を知りたい。

暗くなってしまった。
少し心に余裕がないのかもしれない。良い文章に触れたい。良い音楽にも。

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