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□    向かい風
↑の記事に続きで書いていたのだが、なんだかダークな内容なので冒頭とギャップがありすぎて、記事を分けて投稿することにしました。まとまりのない独り言です。
 どうでもいいんだけど、ずっとパスワード忘れてログインできなくなったとばかり思っていたpixivアカウント(サブ)にログインできた。間違ってたのIDのほうだった。BJだけに特化したアカウントのほう(今思えばなんで別アカウントにしたんだろう)。
 描いてた頃が若すぎて、今じゃ絶対あのテンションでは描けないのよね。老いたという意味では作風が変わったのか。あれが自分の全盛期だったと思う。他者による評価という面だけを見ればね。
 そうそう、今朝Twitterで、手塚先生の作品を学習したAIが新作を描く、とか上がっていたんですが、美空ひばりさんのAI紅白と同じにおいがしました。もっとも私は紅白に興味がなさすぎて、その実際を見た訳ではなくて、何を言える立場でもないのだけれど。
 故人を技術で復活させることの意味、作者という“人”を伴わない作品の意味を考えると、薄暗い思いがします。作品に人間の人格や思想が不要なのだというなら、それはとても空虚なものになりはしないか。いや、もしや現代社会ではそのほうが都合が好いのか? などと勘繰ってしまいます。表層的に作品を消費する者が多ければ多いほど、人間は扱いやすくなるから。作品から何かを受け取り、思考し、自らの生き方に反映させようとする人が少ないほうが、喜ぶ人もいるでしょう。作者や作品の“ブランド名”だけで人々を統率できれば、言うことはない。そんな穿った見方をしてしまう。
 あるいは、AIが人間にどこまでも近付けると言いたいのであれば、今度は人間というものの薄っぺらさに愕然とする。人の心ってのはその程度であり、そしてその程度でいいと思っている人がいるってことだ。一方で、所詮は人間が作り出した程度の、お粗末な点が多々ある世界の中で“学習”するAIが、どの程度の存在になれるのかとも思う。「ヒトラーは間違ってない」と言い出したAIの存在も記憶に新しい。
 もう10年くらいの間、「国家に支配され利用されるサブカルチャーは“サブ”カルチャーたり得るのか」ということを考えているのだけど、骨抜きにされた文化に群がる人々を遠巻きに見て、この時代にもてはやされる人間の思想や表現というものが、ものすごく浅薄で空虚なもののように感じています。中身の詰まったものを追い求めて、あれこれと箱を開けてみるのに、どれも中は空っぽという。手当たり次第、外れくじを引いて回っている感覚。そして、自分の表現の中でも少数ながら評価されるものもまた、そういった空っぽのもののうちに属するのではないかと考えると、ぞっとします。だって人間は評価されたい存在だから。評価されるほうに傾いていくのは当然で、自分の中身が濃度を薄めていっていることにさえ気付かぬまま、ついにはぺらっぺらになってしまうのではないか、と。たいした中身もないのに怖がってみたりするのだ。
 で、何が怖いのかっていうと、それってつまり私という固有の人格に存在意義がなくなってしまう、ということなのだよね。気持ちいいだけのものなら、きっと誰だって書けるんだよ。私はそこに落ちたくない。そこから抜け出したい。
 なんでこんな話になったのか自分でも分からないけれど、とりあえず思うままに。人間はどこに向かうのかなぁと、世の中の流れを見ていて思います。その荒波に飲まれぬよう、自己を保ち続けたまま生き抜くというのはなんて難しいんだろう!
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