こんにちは。
とりあえず次の休日まで身を持たそう、とその場凌ぎ的に生きるうちに、時間を浪費しているような気がして仕方のないわしです。毎週この場所に何とか戻ってくることを目標にしてやり過ごしている。ふう。
先日、スマホ内を断捨離していまして、某メッセージアプリのトーク履歴もばんばん消しにかかっていました(薄情)一時は久し振り、とか言って何度かやり取りした人の中には、たぶんもう一生会わないだろうな、という人もいるので。会いたいと思いつつ、もう10年も会えないでいる友人たちもいる……そう思うと本当に、時間ってはかないものです。月並みな表現だけども。
で、もう絶対に使うことのないグループもいくつかあるのですが、そのトークの中に、会いたくても、どんなに願っても二度と会うことのできない人の話が何度も出ていて――その人がまだ生きている頃の記録が残っている訳で、決して心許せるグループではないけれど、それがために消せないでいます。
時間って、誰にも構わず流れていってしまう無味乾燥なものだけど、自分にとって大切な人が生きていた時間というのは、何か全く別の色、あるいは特別な匂いのするような気がする。自分の中で、他の時間とははっきり差別化されて存在する。こういうのを思い出の美化とか言うのかもしれないけれど、美しいというよりは、憧れに近いんだろうな。どう足掻いたって手にすることはできない喪失への憧れ。ある日を境に、時間ははっきりと色を変えている。
その変化を経験したことで、以前の自分には決して書けなかっただろう一文を書くことができるようになったりするのだ。どんなに他者を避けて生きていても、愛しいと思うのはやはり物質であるはずもなく人間に対してだし、この自分を形成するのもまた人との関係性なんだな。なんだか妙な感じがする。他者と関わる限り私は自己を偽り続けるけれど、そうして誰かと関係性を築く自分が、全くの作り物とも言えない。こうなると、本当の自分はどこにあるんだろうとか考え始めるので、収拾がつかなくなる。
そうしてそろそろこの雑記も着地点を見失っているではないか。もういい加減にして、ゆっくり過ごします。
この場所で書くことがあまりにもなさすぎるんだなぁ。いつも取り留めのないことをだらだらと書いてしまう。悪い癖です。
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